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三聖病院院長、宇佐晋一先生の講話録です。
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ご無沙汰しております。

ようやく、仕事や私事が落ち着きました。

また少しずつ、先生の講話をこちらで記していければと思います。

今日の講話の中で、先生が黒板に板書される際、ふと腰をお辛そうにされている場面がありました。
しかし先生は、次にまた板書される際、何の迷いもなく、すっと席をお立ちになられました。

私ならばどうだろうと考えるに、おそらく、「また」と決め付け、病感のために痛みを作っていたのではなかろうかと、自身の行動を内省しました。

先生の講話を久々に受けさせていただきましたが、先生が事実を表される、表現は芸術そのものだと感嘆します。
実際に先生にお会いでき、事実をわかることのないよう、伝えていただけること、この上なく恵まれたことなのだと改めて感じました。

【MEMO】

・ わかるという捕らえ方ではキャッチされない種類のもの。

・ 言葉は物事を限定する強い働きがある。

・ 生き生きとしたものが、たちどころに色あせたものになる。

・ 事実をないがしろにしてしまう。

・ 文芸の世界は、生き生きとした事実とは別物。みなさんは文芸ではありません。

・ 自分をこうだと決めて信じ込む。客観性に乏しい主観そのもの。

・ バイアス=思い込み。事実を曲げて自分流に受け取る。

・ 自己暗示という現象が働く。

・ 釣り落とした鯛は大きい。

・ 針小棒大。大げさになる。大げさの度合いが著しい。自己暗示の特徴。客観性に乏しい。

・ 真実とはコミュニケーションなしたっぷりとありうる。

・ (先生を抜きにして)みなさんが、直に、その意識でいらっしゃる形でいきわたる。伝わることがない。

・ (先生は)伝達者でない。

・ 病人として認識し、病気として治そうとしたことに起因する。

・ 相手が虚構のものであった。

・ 自分にかかるイメージで、悲観しても絶望してもいいのがここ。

・ ぶっつけにこのままでいる。何の難しいことがありましょうか。

・ 知ることを介在させない直接の体験として。

・ 考えによらないものを直接、考えてわかるものを間接な捕らえ方という。

・ 感覚、感情、しることより前の、そのことであることが全治。

・ 悪いとすると、抜けなければない。抜けなければならないと、症状が固定して治らなくなる。

・ 嫌なものを決めると、ひとたび、反対側のものを待ち望む。

・ 神経症の症状は、ない状態をめざすことで、あらゆる努力を注ぐことで成り立つ。

・ 決めることをやめれば何事もおこらない。

・ 「なべての悩みをたきぎと燃やし、なべての心を心とせよ。風とゆききし、雲からエネルギーをとれ。」

【黒板MEMO】

・ 競合脱線 (輪に輪をかけた脱線)
・ 「末灯抄」  親鸞聖人 「念仏は無義をもって義とす」 (義:わけ、意味)
・ 鈴木大拙
・ 黄檗 - 臨済
・ 臨済録 三聖恵然
・ 「仏法無多子」
・ 松田聖山
・ 「歴々目前聴法底人」 (歴々:はっきりしている)

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author : 金田 倫子
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