[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
こんにちは。
京都は猛暑日が続きます。
夏の暑さも盆まで。この暑さも残りわずかかと思うと、途端に名残惜しさが沸いてきます。
今日の講話では、芭蕉の句が話題にあがりました。
芭蕉の句を、先生は、治った人の心境だと、表現されていました。
自分が自分を神経症だと決めているとき、見ているのは、自分の考えであって、目の前のものではないこと、
事実とは異なるものをみていること、修養中に先生に教えて頂いたことを思い出しました。
私もいつか、全治の句を詠めるよう、
日々の生活の実践を、続けたいと思います。
【MEMO】
・ 芭蕉の句。全く意味づけがない。
・ 言葉による解説が出てこない。
・ より分けのような区別が見られない。
・ 見たもの。したこと。
・ 何らの努力もいらない。心に用事なし。
・ 心を、体の部分的な働きとして扱うこと事体が、おかしい。
・ 心という言葉、すべてを使うことが脱線。
・ 想像の中に恐怖は生まれる。
・ 考えただけで恐怖が生まれる。
・ わかろうー知ろうー治そう の三段に終始する。
・ 「しらなさ - わからなさ -きめられなさ」 、それをわかろうとされる。
・ 色と形、全治そのもの。
・ ものが見える=みなさんの生き生きした働き
・ 全治、いつもかも成り立っている。
・ 全治の半分は、不安の味わい。
・ 不安を伴う気持ちの味わい。後の半分は、外へのとりくみ。
・ 症状、こころと言わないほうがよい。
・ 味わい。自ずからなもの。
【黒板MEMO】
・ 提唱、講座
・ 脱学的、五山文学、三聖派
・ 「うつすとも 水は思わず うつるとも 月は思わず 猿沢の池」
上泉 秀綱、柳生宗厳-宗矩
・ 無念無想
・ 波多野 修
・ 一生の半ばを後架にて過ごせり ※後架 (トイレ)
・ 加藤楸邨
・ 静物
・ 0=∞、∞=0