三聖病院院長、宇佐晋一先生の講話録です。    
    
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		こんばんは。
	
		春分も過ぎ、暖かい日が続きます。
	
		来月、三聖病院を訪れる際には、玄関前にある、立派な桜の開花がみられるのではと、今から楽しみです。
	
		題名の言葉は、先生が敬服に値すると評された、岩村康夫さんの言葉です。
	
		先生がご著書の中で、久松真一先生の言葉と記述されたことを、大変悔やまれておりました。
	
		言葉や表現、外側の事実に対する先生のご敬意を感じたことが、とても印象的でした。
	
		今日の講話の中では、上述の言葉のもととなった雲門禅師の言葉や、
	
		馬祖禅師、大灯国師の言葉が多く話題にあがりました。
	
		【 MEMO 】
	
		・自分らしさというものさえも残ってはいけない。
	
		・何者かによってみられた自分をもって自分としている。
	
		・思い込みとは自分では思わないから思い込み。
	
		・経験が作用して過去の事実に引きづられてしまう。
	
		・思い込みによってほんとうの姿をまともに受け取りにくくなる。
	
		・自分の考えにだまされる。
	
		・ある種の精神感情をきっかけに、事実以上に物事を大げさにうけとってしまう。
	
		・嫉妬。これが自分だと思う自分を、大きく歪めてしまうきっかけになる。
	
		・人のせいにしてるというのは、自分に責任を持ちにくい、自分の負担を少なくした形で自分を描こうとする。自己暗示。
	
		・見ている、その意識において悟りあるいは真実そのものはみえない。真っ暗闇。
	
		・「目は目自身を見ることがない」岩村康夫
	
		・なんとか格好がついているだけの話で、みなさんのお望みどおりの解決という形にもっていくことは到底できない。
	
		・「心の持ち方ひとつです」それを言う人の、ものの見方の見解の極めて浅いことがよくわかる。
	
		・雲門の話は極めて鮮やか
	
		・自己意識が、完全にこれが自分だという姿を闇の中に没してしまったとき、そこにある他者意識そのものが、そこに何が見えようと、見えている事実そのものが究極の悟りに他ならない。
	
		・肝心な生活がどっかにいってしまう。一番愚かな姿。
	
		・これが自分だということが全くそこにみえてこない。それが真に綺麗な悟りの状態、あるいは真実に生きる姿。
	
		・言葉で、ものの変わりに置き換え、わかる、その理解の仕方を嫌う。
	
		・言葉と文法を使わず、一切の言語抜きで生活すれば、ひとり勝手にできあがる。意思的な、意図的な考えによる何かがあってはならない。
	
		・己に迷いてモノを追う
	
		・言葉で追うことのない鳥の見方をしなさい。
	
		・肝心なことは、きめなさ、しらなさ、わからなさ
	
		【黒板MEMO】
	
		・自己像 セルフイメージ
	
		・岩村康夫
	
		・唐 618~907
	
		 馬祖道一
	
		 野鴨子(やおうす)
	
		・雲門文偃(ぶんえん)
	
		・見ル時ハ見エズ暗昏々
	
		・「如何ナルカ仏?」 「厨庫三門」 (雲門禅師)
	
		・碧巌録 雨滴声
	
		・興禅 大灯国師遺戒
	
		・無理会ノ処ニ向ッテ窮メ来リ窮メ去ルベシ
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      author : 金田 倫子
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