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三聖病院院長、宇佐晋一先生の講話録です。
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しばらくお待ちください。

→終了しました。お待たせいたしました(2019.07.05)。

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※ 三聖病院は2014年12月27日付で閉院となりました。

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ご無沙汰しております。

久々の更新です。

本年もよろしくお願いいたします。


【 MEMO 】

・ 話としておききになる。それで十分。

・ 雨の音を聞くに等しい。そういう聞き方でよろしい。


・ 観ることは美の創造

・ 聴くことは音楽の鑑賞。新たな音楽を創り出していらっしゃる。

・ 美というものはそこにあるものではなくて、観る人が創りだすものである。

・ 眼が創りだす。

・ 視覚が美を創りだす。聴覚が美を創りだす。

・ みなさんがいなれけば、ゴッホの美は成り立たなかった。

・ 生き生きとしたものを見聞きする、究極の姿

・ 良いとか悪いとか、価値的な意味づけなど、事実の外から付け加えたものは、真に生きることからの脱線である。

・ 「自分がこの講話を聞いている」聞く自分と、聞く内容、知らず知らず、二つに分かれたものを体験している。

・ 聞く自分と聞かれる事柄とに別れて、自分が講話を聞くという形でそれを意味づけして経験していらっしゃる。

・ 全治というのはそれのないもの。

・ 聞く自分も、聞かれる対象になる声も、ともに、言葉で表現されない、意味をもたない。論理性がない。こういったところに全治がある。

・ 眼も耳も言葉をもたない。

・ 皆さん方にお役に立つのは事実のみ。感覚的な事実による生活

・ 事実が先行して現れる。常に事実が考えよりも先にある。納得のいく考えでまとめた後では、本物はもうそこにはない。

・ 自分の治った姿を、理想主義的にあるいは完全主義的に、こうありたいと思った瞬間に、相次いで、そういう風でなければならない、そうできあがらないと全治といえない、という考えが出てくる。

・ お手本主義。目指すものを示す。抽象的論理的に描かれた全治の姿となる。本当の全治の姿ではない。

・ 目指す方向。どっちにすすめばよいかは、どうしたらよいかの一部。予測の狙いが働けば働くほど脱線し、ただ困惑におわってしまう。

・ 理解を助けることによって脱線する。

・ 全治の創造性

・ 全身が眼である。

・ 神経症の困った状態は、真実を求め、あるいは、ほんとうに生きるとは何か、大事な命題の解明のため、知的に骨を折り、答えをだそうとして生じたもの。


【黒板MEMO】

・ 虚堂雨滴声

・ 作者難酬対 (作者モ酬対シ難シ ※作者=真実を見抜いた人)

・ 鑑賞

・ 観照

・ 創造

・ 通身是眼  (是=”である”、be動詞)

・ 龐居士   (ほうこじ)
  「好雪片々 不落別処」

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こんばんは。
春分も過ぎ、暖かい日が続きます。
 
来月、三聖病院を訪れる際には、玄関前にある、立派な桜の開花がみられるのではと、今から楽しみです。
 
題名の言葉は、先生が敬服に値すると評された、岩村康夫さんの言葉です。
 
先生がご著書の中で、久松真一先生の言葉と記述されたことを、大変悔やまれておりました。
 
言葉や表現、外側の事実に対する先生のご敬意を感じたことが、とても印象的でした。
 
今日の講話の中では、上述の言葉のもととなった雲門禅師の言葉や、
 
馬祖禅師、大灯国師の言葉が多く話題にあがりました。
 
 
 
【 MEMO 】
 
・自分らしさというものさえも残ってはいけない。
 
・何者かによってみられた自分をもって自分としている。
 
・思い込みとは自分では思わないから思い込み。
 
・経験が作用して過去の事実に引きづられてしまう。
 
・思い込みによってほんとうの姿をまともに受け取りにくくなる。
 
・自分の考えにだまされる。
 
・ある種の精神感情をきっかけに、事実以上に物事を大げさにうけとってしまう。
 
・嫉妬。これが自分だと思う自分を、大きく歪めてしまうきっかけになる。
 
・人のせいにしてるというのは、自分に責任を持ちにくい、自分の負担を少なくした形で自分を描こうとする。自己暗示。
 
・見ている、その意識において悟りあるいは真実そのものはみえない。真っ暗闇。
 
・「目は目自身を見ることがない」岩村康夫
 
・なんとか格好がついているだけの話で、みなさんのお望みどおりの解決という形にもっていくことは到底できない。
 
・「心の持ち方ひとつです」それを言う人の、ものの見方の見解の極めて浅いことがよくわかる。
 
・雲門の話は極めて鮮やか
 
・自己意識が、完全にこれが自分だという姿を闇の中に没してしまったとき、そこにある他者意識そのものが、そこに何が見えようと、見えている事実そのものが究極の悟りに他ならない。
 
・肝心な生活がどっかにいってしまう。一番愚かな姿。
 
・これが自分だということが全くそこにみえてこない。それが真に綺麗な悟りの状態、あるいは真実に生きる姿。
 
・言葉で、ものの変わりに置き換え、わかる、その理解の仕方を嫌う。
 
・言葉と文法を使わず、一切の言語抜きで生活すれば、ひとり勝手にできあがる。意思的な、意図的な考えによる何かがあってはならない。
 
・己に迷いてモノを追う
 
・言葉で追うことのない鳥の見方をしなさい。
 
・肝心なことは、きめなさ、しらなさ、わからなさ
 
 
【黒板MEMO】
 
・自己像 セルフイメージ
 
・岩村康夫
 
・唐 618~907
 馬祖道一
 野鴨子(やおうす)
 
・雲門文偃(ぶんえん)
 
・見ル時ハ見エズ暗昏々
 
・「如何ナルカ仏?」 「厨庫三門」 (雲門禅師)
 
・碧巌録 雨滴声
 
・興禅 大灯国師遺戒
 
・無理会ノ処ニ向ッテ窮メ来リ窮メ去ルベシ
 

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今日は、講話の中で、歎異抄のお話があがりました。
 

歎異抄は、親鸞の死後、浄土真宗の門徒で沸いた異議・異端を嘆き、親鸞の直弟子、唯円が文をしたためたものです。


森田先生の説かれた森田療法が、原法と異なる形で世に広まっていること、
 

そのことに対する嘆きを、先生の講話の中でも、度々伺います。
 

歎異抄の話題を通じて、唯円の姿が想起させられ、
 

院長先生の成されていることと、唯円の姿勢が重なり、先生が成されていることの深淵さを、改めて感じました。


【 MEMO 】
 
・ 予想が裏切られて初めて真実の姿があらわれる。
 
・ 「そうか、なるほど」納得がいけない。
 
・ 自分にとって、何とかしなければいけない相手。哲学の言葉で「対格」という。考える相手。
 
・ 本来は外。心の方には、対格はありえない。「これが自分だ」という主体が明確になって、対格が生じる。
 
・ 「これが自分だ」という自己像が組み立てられない。それがほんものである。
 
・ 対象化して、自分に迫ってくる、対立する今までの症状の負けそうなもの。
  治そうとすればするほど、絶対負けない、治されてたまるものかという症状の抵抗が立ち消える。ありながらにして消えてしまう。
 
・ 思い出は、考え、思考。
 
・ 言葉をつかわない。それだけで、事体はなにもこの状況として変わらない。
 
・ (先生の)前にあるものが、「マイクロフォン」という名前を失う。途端にみなさんには、マイクロフォンでないものが、ぱっとみえる。
 
・ モノと名前を結びつけて、切り離さない状況になっている。
 
・ ついでに決めてしまったのが、残念ながら失敗。
 
・ 自己実現とは、ぶっつけに、本来の自分が言葉で誤魔化されずに、その場面場面に現れている働き、そのものをいう。
 
・ 心の管理者、司令塔になるのをお止めになる。対格がなくなると、自分が自分をこうしようああしようということがいらなくなる。これが森田療法の妙味。
 
・ 「おどろきなばそのままにてよろし、用心すれば二つになる」
 
・ 雷を怖がらないでおこうと用心すると、そうしようとする心と、雷が怖いという心の二つにわかれてしまう。
 
・ 治そうとする自分と、治されようとする自分が別れた以上、そこからひとつにはならない。
 
・ 二つになったらほっとくだけ。外の大事な事柄に手をだして進むと、あっという間にひとつになる。
 
・ 自己意識がぱっときえる。
 
・ 人間の意識には、二つが同時に成り立たないという原則がある。
 
・ 外のことどころでない。自分のことで、もういっぱいです。こうなる。
 
・ 全治とは、自分のことを忘れるとか、解決するとかどうのこうのでなしに、なるとおり。自分が気になったら気になったで、なるとおり。
 
・ 全治とは、神経症になることもできる状態である。どっちもです。それが大事である。
 
・ ありとあらゆる心の状態が全治である。
 
・ こころという言葉をいうてもいけない。
 
・ 中はただ、感覚と感情の世界のままにしてしまわれる。
 
・ 気持ちの上で辛いようにみえる。乗りかかった船に乗っていかれる。
 
・ 案ずるより生むが安し。これも具合が悪い。案じたら、案じたまま。
 
・ 清水の舞台から飛び降りる決心で。
 
・ わからないけれど、そういわれたままで、そのとおりにしているだけのこと。これが覚悟。どうなるかしりません。
 
・ (森田先生)「僕の言うことは信じなくてよろしい。ただ僕の言うことを実行すればよろしい。」
 
・ 意識的に全治することなど、有り得ない。
 
・ 瞬間的全治
 
・ 見抜くというのは実行。
 
・ これほど自分が考えで駄目になっていたことが、後でおわかりになる。
 
 
 
【黒板MEMO】
 
・ 自己像 (セルフイメージ)
 
・ 他者意識 自己意識
 
・ 対格
 
・ 歎異抄 親鸞 唯円
 
【掛軸】
 
「苦痛を苦痛し 喜悦を喜悦す これを苦楽超然という 昭和2年7月 森田形外」
 
 

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author : 金田 倫子
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