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ご無沙汰しております。
久々の更新です。
本年もよろしくお願いいたします。
【 MEMO 】
・ 話としておききになる。それで十分。
・ 雨の音を聞くに等しい。そういう聞き方でよろしい。
・ 観ることは美の創造
・ 聴くことは音楽の鑑賞。新たな音楽を創り出していらっしゃる。
・ 美というものはそこにあるものではなくて、観る人が創りだすものである。
・ 眼が創りだす。
・ 視覚が美を創りだす。聴覚が美を創りだす。
・ みなさんがいなれけば、ゴッホの美は成り立たなかった。
・ 生き生きとしたものを見聞きする、究極の姿
・ 良いとか悪いとか、価値的な意味づけなど、事実の外から付け加えたものは、真に生きることからの脱線である。
・ 「自分がこの講話を聞いている」聞く自分と、聞く内容、知らず知らず、二つに分かれたものを体験している。
・ 聞く自分と聞かれる事柄とに別れて、自分が講話を聞くという形でそれを意味づけして経験していらっしゃる。
・ 全治というのはそれのないもの。
・ 聞く自分も、聞かれる対象になる声も、ともに、言葉で表現されない、意味をもたない。論理性がない。こういったところに全治がある。
・ 眼も耳も言葉をもたない。
・ 皆さん方にお役に立つのは事実のみ。感覚的な事実による生活
・ 事実が先行して現れる。常に事実が考えよりも先にある。納得のいく考えでまとめた後では、本物はもうそこにはない。
・ 自分の治った姿を、理想主義的にあるいは完全主義的に、こうありたいと思った瞬間に、相次いで、そういう風でなければならない、そうできあがらないと全治といえない、という考えが出てくる。
・ お手本主義。目指すものを示す。抽象的論理的に描かれた全治の姿となる。本当の全治の姿ではない。
・ 目指す方向。どっちにすすめばよいかは、どうしたらよいかの一部。予測の狙いが働けば働くほど脱線し、ただ困惑におわってしまう。
・ 理解を助けることによって脱線する。
・ 全治の創造性
・ 全身が眼である。
・ 神経症の困った状態は、真実を求め、あるいは、ほんとうに生きるとは何か、大事な命題の解明のため、知的に骨を折り、答えをだそうとして生じたもの。
【黒板MEMO】
・ 虚堂雨滴声
・ 作者難酬対 (作者モ酬対シ難シ ※作者=真実を見抜いた人)
・ 鑑賞
・ 観照
・ 創造
・ 通身是眼 (是=”である”、be動詞)
・ 龐居士 (ほうこじ)
「好雪片々 不落別処」
今日は、講話の中で、歎異抄のお話があがりました。
歎異抄は、親鸞の死後、浄土真宗の門徒で沸いた異議・異端を嘆き、親鸞の直弟子、唯円が文をしたためたものです。
森田先生の説かれた森田療法が、原法と異なる形で世に広まっていること、
そのことに対する嘆きを、先生の講話の中でも、度々伺います。
歎異抄の話題を通じて、唯円の姿が想起させられ、
院長先生の成されていることと、唯円の姿勢が重なり、先生が成されていることの深淵さを、改めて感じました。
【 MEMO 】
「不見識」
精神の外部機構である知性を、心に用いること。
院長先生の講話の中で、教わった表現です。
今日、鈴木大拙先生の「宇宙的無意識」という言葉が、講話の中で取り上げられました。
心は本来、言葉にあらわすことのない、いきいきとしたもの。それを鈴木先生は、宇宙的無意識と表現されました。
「不見識」を私はたびたび犯してしまいますが、心を思考でやりくりできると、指向することの
愚かさに触れ、はっとしました。
先生が話される、そのまま、がいかに愛情深いものであるかを、再度感じた瞬間でした。
【MEMO】
・ 不安は安心しよう、治そうの努力つき。
・ 必ず、安心を目指す熱心な努力がつきまとっている。
・ 抗不安剤による治療、安心が解決しない。
・ 森田療法は、不安と安心を同時に解決。
・ 安心と不安は対立概念。考えの一対。
・ 生と死は見かけ上の対立概念。生の欲望、死の恐怖は、一本の線の上に並ぶ、同じもの。
・ 安心を強く求める行為において、不安がつきまとう。
・ 怖いもの、不安なもの、そのとおりに味わっていく。
・ 治そうとするそこに、心が加わらない。
・ 結論を出そうとすると、概念化されてしまう。
・ 心にテーマがあるとだめ。
・ 心をどこにも置かない。
・ 生き甲斐、は不見識な事柄
・ 言葉にあらわすことのない、いきいきとしたもの=宇宙的無意識
・ 皆さんが決めなければ、宇宙は決めない。
・ 言語での捉え方ができない=悩みがない
・ 悩みには解決がつきまとう。
・ 感情の事実に注文をつけない。
【黒板MEMO】
・ 柳生但馬守宗矩
・ 沢庵宗彭 「不動智神好録」
・ 臍下丹田
・ cosmic unconscious-ness 「宇宙的無意識」 鈴木大拙