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こんにちは。
京都は猛暑日が続きます。
夏の暑さも盆まで。この暑さも残りわずかかと思うと、途端に名残惜しさが沸いてきます。
今日の講話では、芭蕉の句が話題にあがりました。
芭蕉の句を、先生は、治った人の心境だと、表現されていました。
自分が自分を神経症だと決めているとき、見ているのは、自分の考えであって、目の前のものではないこと、
事実とは異なるものをみていること、修養中に先生に教えて頂いたことを思い出しました。
私もいつか、全治の句を詠めるよう、
日々の生活の実践を、続けたいと思います。
【MEMO】
・ 芭蕉の句。全く意味づけがない。
・ 言葉による解説が出てこない。
・ より分けのような区別が見られない。
・ 見たもの。したこと。
・ 何らの努力もいらない。心に用事なし。
・ 心を、体の部分的な働きとして扱うこと事体が、おかしい。
・ 心という言葉、すべてを使うことが脱線。
・ 想像の中に恐怖は生まれる。
・ 考えただけで恐怖が生まれる。
・ わかろうー知ろうー治そう の三段に終始する。
・ 「しらなさ - わからなさ -きめられなさ」 、それをわかろうとされる。
・ 色と形、全治そのもの。
・ ものが見える=みなさんの生き生きした働き
・ 全治、いつもかも成り立っている。
・ 全治の半分は、不安の味わい。
・ 不安を伴う気持ちの味わい。後の半分は、外へのとりくみ。
・ 症状、こころと言わないほうがよい。
・ 味わい。自ずからなもの。
【黒板MEMO】
・ 提唱、講座
・ 脱学的、五山文学、三聖派
・ 「うつすとも 水は思わず うつるとも 月は思わず 猿沢の池」
上泉 秀綱、柳生宗厳-宗矩
・ 無念無想
・ 波多野 修
・ 一生の半ばを後架にて過ごせり ※後架 (トイレ)
・ 加藤楸邨
・ 静物
・ 0=∞、∞=0
こんばんわ。
ご無沙汰しております。
ようやく、仕事や私事が落ち着きました。
また少しずつ、先生の講話をこちらで記していければと思います。
今日の講話の中で、先生が黒板に板書される際、ふと腰をお辛そうにされている場面がありました。
しかし先生は、次にまた板書される際、何の迷いもなく、すっと席をお立ちになられました。
私ならばどうだろうと考えるに、おそらく、「また」と決め付け、病感のために痛みを作っていたのではなかろうかと、自身の行動を内省しました。
先生の講話を久々に受けさせていただきましたが、先生が事実を表される、表現は芸術そのものだと感嘆します。
実際に先生にお会いでき、事実をわかることのないよう、伝えていただけること、この上なく恵まれたことなのだと改めて感じました。
【MEMO】
・ わかるという捕らえ方ではキャッチされない種類のもの。
・ 言葉は物事を限定する強い働きがある。
・ 生き生きとしたものが、たちどころに色あせたものになる。
・ 事実をないがしろにしてしまう。
・ 文芸の世界は、生き生きとした事実とは別物。みなさんは文芸ではありません。
・ 自分をこうだと決めて信じ込む。客観性に乏しい主観そのもの。
・ バイアス=思い込み。事実を曲げて自分流に受け取る。
・ 自己暗示という現象が働く。
・ 釣り落とした鯛は大きい。
・ 針小棒大。大げさになる。大げさの度合いが著しい。自己暗示の特徴。客観性に乏しい。
・ 真実とはコミュニケーションなしたっぷりとありうる。
・ (先生を抜きにして)みなさんが、直に、その意識でいらっしゃる形でいきわたる。伝わることがない。
・ (先生は)伝達者でない。
・ 病人として認識し、病気として治そうとしたことに起因する。
・ 相手が虚構のものであった。
・ 自分にかかるイメージで、悲観しても絶望してもいいのがここ。
・ ぶっつけにこのままでいる。何の難しいことがありましょうか。
・ 知ることを介在させない直接の体験として。
・ 考えによらないものを直接、考えてわかるものを間接な捕らえ方という。
・ 感覚、感情、しることより前の、そのことであることが全治。
・ 悪いとすると、抜けなければない。抜けなければならないと、症状が固定して治らなくなる。
・ 嫌なものを決めると、ひとたび、反対側のものを待ち望む。
・ 神経症の症状は、ない状態をめざすことで、あらゆる努力を注ぐことで成り立つ。
・ 決めることをやめれば何事もおこらない。
・ 「なべての悩みをたきぎと燃やし、なべての心を心とせよ。風とゆききし、雲からエネルギーをとれ。」
【黒板MEMO】
・ 競合脱線 (輪に輪をかけた脱線)
・ 「末灯抄」 親鸞聖人 「念仏は無義をもって義とす」 (義:わけ、意味)
・ 鈴木大拙
・ 黄檗 - 臨済
・ 臨済録 三聖恵然
・ 「仏法無多子」
・ 松田聖山
・ 「歴々目前聴法底人」 (歴々:はっきりしている)
ご無沙汰しています。
今回の,東北地方太平洋沖地震を受け,できることは何かと考える中で,いてもたってもいられなくなりました。
自分自身も含めてですが,神経症の人達の内側への熱心な努力・向上心が,外側に向くことで,少しでも全体が前進することに精を使いたいと思いました。
私は京都に住んでいますが,こちらは有難いことに,何不自由なく普段と変わりない生活が送れています。
三聖病院もしかりです。
寒さが極まる中,被災地で過酷な生活をされている現地の方々,心よりお見舞い申し上げます。
一日も早い復興を,祈念しています。
・ 自分にどんな答えも必要ない。
・ 皆さんである他に有様がない。
・ やる気,する気が前もって設定される必要はない。
・ 行動の理論化を抜きにして,その場の効果的なことをする。理論化された行動の理論が抜け落ちていく。
・ 洗練。ムダが省かれていく。
・ 考えればわかることを,考える間もなくやってしまう。有効な行動様式。
・ 生活を鮮やかに行動させるもとになる。
・ 自分が安心できるかどうかを省いてしまう。
・ 筋を通すこと自体が脱線。
・ 自分の役に立つ,他人の考え,ヒントを探す手間が省ける。
・ ヒントはいらない。概念化された考えは何もいらない。
・ どう入ろうかでなく,真実から出られない。
・ 過不足なく,このとおりの姿で,ことば・文法を加えなければ,究極のホンモノの姿が達成。
・ ことば・考えは常に後手,後手。悪知。
・ 心は現象。
【黒板MEMO】
・ 遠忌
・ 関山 - 恵玄が這裏に生死なし
無相国師
・ 竹田黙雷
・ 維摩(結)居士 (ビーマラギルティ)
桜の季節。
三聖病院の玄関前にも、大きな桜があります。
講話に向かう夜の、薄暗い明かりの中、
満開に咲き誇る桜木の妖艶さと、夜道に舞い散る桃色の花びらの儚さが、とても美しく感ぜられました。
今日の講話は 自分らしさの回復、が神経症の中心的課題であること、などについて。
【MEMO】
・ 自分らしさが思うように実現できない=自己不全感
・ 中心的課題 =自分らしさの回復
・ 自己違和感
・ 自己不全感、が今晩さしあたっての皆さんにとっての妙薬
・ 心気症までは神経症ではない。
・ 心気症を邪魔者、異物として消そう、なくそう排除しようとする。たちどころに神経症がはじまる。
・ 自己意識の内容。あるがままに放置。それ以上の発展がとまる。
・ (外のことに)とりくんでいる。その時点を全治という。先でも後でもない。
・ 因果 (因:過去、果:現在・未来)を超える。むしできる。
・ 瞬間、瞬間、瞬間 の話。
・ 瞬間、瞬間、瞬間 に全治。
・ かしこい、といわれる工夫をやめる。
・ 知的な筋の通った捉え方ははやくおやめなさい。
・ わからなさ(=知っていることのくみたて)=知らなさ=言葉へのおきかえ
・ できあがった事実と 考えた事実が食い違う =思想の矛盾
・ 思想の矛盾を解決しても言葉がのこる。
・ いいかえ、おきかえをこの場でやめる。
・ 考えで心のどの部分が変えられるか、吟味してみればよい。
・ 「自分らしさ」を手に入れたとしても、それは本物ではない。
・ 思いやりの「心」はいらない。
・ 感謝していることを感謝という。
・ 今の状況、心でいることが忍耐。
・ 忍耐力を養っている人は脱線。
・ 比べることをやめる=絶対
【黒板MEMO】
・ 自己不全感=心気症(ヒポコンドリー)
・ 妙薬
・ 苦楽超然
・ 自己意識 他者意識
・ 知 情 意
・ 一如