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いまさらのことですが、
森田療法、ひいては三聖病院においては徹底した不問が求められます。
ですがやはり、どうにもとらわれる問いがわきおこってくるのは事実です。
これは、修養時代から不思議に感じていたことなのですが、
どうしてもの問いが続いたあと、ふと講話でそのテーマがとりあげられる、ということが
ごく自然におこります。
とりあげられたからといって、その問いの答えがみつかったり、
ヒントを得たり、するわけではなく、とらわれであったと自覚するにすぎないのですが、
そういことがおこるたび、院長先生はどこまでお見通しなのか、と妙な勘ぐりを抱いてしまいます。
標題とは関係ない話になりましたが 今日の講話でも また院長先生のお見通しにあたったので
一個人の感想として、ご参考まで。
【 MEMO 】
・ 知 情 意
・ ストレスだから悪いっていわなくていい。
・ 自分で自分の主治医になって、治療法まできめているのが神経質の特徴
自分の気持ちできめて、治療者にまかせられない。
・ 宗教。自分の心を調整することができないからゆだねる。
自分の心を調整することができると思っている。
・ 自分の心は、自分の命令や注文に従わない。
・ 森田の副産物。宗教が身につく。
・ 感情の暴れん坊は、法則、規則を絶対守れない。
・ わかった分だけよけいなこと
・ 考え方が変わったんではない。意識が変わった。
・ 悟りは気づきではない。
・ 人間にとって意識とはかえられない。
・ 意識については責任を絶対に持つ必要がない。
本治りはみなさんの責任でもたらされるものではない。
・ 肝心なのは 知らなさ わからなさ きめられなさ
・ 医学的心理学。「学ばなかったらどんな困ったことがおこるか」
→個人差をよくわきまえること。個人差をしること。
・ ゴッホがいなかったらあの美しさには出会えなかった。
【 黒板MEMO 】
・ 汎適応症候群 (ハウス・セリエ)
・ 霊鷲山(りょうじゅんぜん)
・ 拈華微笑(ねんげびしょう)
・ 降魔成道(ごうまじょうどう) 12月8日 鶏鳴
・ 臘八
・ 気づき=洞察