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三聖病院院長、宇佐晋一先生の講話録です。
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※3月は音声データ録音ができませんでした。ごめんなさい。



「不問の論理」とは 入院時にお世話になっているころから たびたび耳にしていた言葉でしたが、

今日の講話の中で、現院長が考案されたものであることを知りました。

森田正馬の「思想の矛盾」、鈴木大拙の「即非の論理」とならぶ事実の表現。

皆さんの興味を引こう、と考えました、とおっしゃる先生の言葉も印象的でした。


【MEMO】

・ 別種の論理の通ずる世界

・ 中心のない円

・ 教わろうというのは依存

・ これだけは聞いておこう、それすら聞かなくていい。

・ 知ることが役にたつことはない。

・ 教えの他、外で伝わる。

・ 今晩、自分の症状に無条件降伏すれば即全治。

・ いきおい自分をみてしまう。

・ 外は普通論理に従った生活をする。心は不問の論理。

・ 限りなくさまざまな美があるように、心も限りなくさまざまにいろんなありかたをする。

・ こうありたい - こうでなければならない 。自分をきめてしまう。

・ 治す方向をやめる。

・ どうなるかを問うところがない。

・ 肝心な部分を精神生活の基盤にすえていれば、それが真実に生きる姿。

・ 公案。とこうとしてもとけない問題。


【 黒板MEMO 】

・ 不問の論理

・ 般若即非般若故般若 (般若{すばらしい智慧}は 即ち 般若に非ず 故に 般若なり)

・ A≠A ∴A=A

・ 即非の論理(鈴木 大拙)

・ 答在問処 (答えは問処にあり)

・ 教外別伝 不立文字 直指人心 見性成仏 

・ 森 暢(とおる)

・ 公案 
   natural koan (みなさんの悩み)
   given koan (臨済宗の公案)
   


 

 

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講話当日は、バンクーバー五輪の真っ最中でした。

オリンピック選手の練習と、神経症の人がする練習には根本的な違いがある、全く別物です。

と、今日も一刀両断に、神経症の本質についてお話しくださいました。


【MEMO】

・ 注意がむいた、その分だけ対象が敏感になる。

・ 注意と感覚、注意と感覚、が繰り返される。

・ その努力が熱心であればあるほど苦しくなる。

・ 納得のいく解決の仕方をやめれば一番よい。

・ 解釈がより複雑さを増す。

・ 治すことの熱心さ。

・ これが自分 - 治す自分 。一重、二重、三重となる。

・ これが自分、をいわさないようにしないと全治とはいえない。

・ とんちんかん、かたすかし、のれんに腕押し。

・ 心の方から、皆さんを困らせてやろうということは全くない。

・ 自分をこうと決めて、理想像になるための努力をする。

・ 意識は一つしかみれない。

・ こうだ、ああだ、どっちを決めてもいけない。

・ あるのかないのかを問わない。

・ 「あるがままの自分を受け入れるんだ」ではいけない。


【黒板MEMO】

・ 強迫性障害

・ ホウ居士

・ 好雪片々不落別処 (別処ニ落チ不)

・ 全禅客

・ 雪チョウ 「雪団打々々々!」  (初問のところでうてばよい)

・ レビンの花瓶






 

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今日は久しぶりに水曜日の講話に参加しました。

昨年の今頃も、何度か講話に行かせて頂きましたが、少ないときは、私を含めて2~3人でした。

今日は平日にも関わらず、満席状態。

たくさんの方が、院長先生の教えを必要とされ、真実の生活を実践されているのだな、ということを肌身に感じました。

講話の内容としては、大谷大学の現教授が、前院長を診察をうけられ、標題の一言でさっそく治られてしまった、というエピソードがとても印象的でした。


【 MEMO 】

・ きめることがいけない。

・ 心の歴史。かなり無理して作られた。

・ 悩みの内容。文芸作品と同じように味わう。

・ 文芸作品の命あらしめる。

・ 状況に応じてできた自分のイメージ。それをつなぐわけにはいかん。

・ イメージの私、はきれぎれ。

・ エクハルト 神秘主義者。

・ 今の心をいさぎよしとせず。

・ 筋が通ってるもの。論理。ほんものではない。

・ 神経症は嫌なところをなおそう、といやなところを邪魔にするところからはじまる。

・ 症状が妙薬。妙:あれとこれと両方が含まれている。片方だけを対象にするのは妙といわない。

・ その状況をみる、は脱線。その状況でいるが大事。

・ 自分をみつめる間は絶対になおらん。

・ 行動上の内省はよい。

【黒板MEMO】

・ 不寝番

・ 無義をもて義をなす

・ 「教行信証」

・ 不断煩悩得涅槃

・ 「末灯抄」 

・ 王陽明 :儒学の実学

・ 訓詁学

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今日の講話の中で先生が

「今日の講話はよくわかりました。よくわかった、といわれるほどがっかりする。」

と本当に残念そうにおっしゃっておられました。

その言葉をきいてハッとするということは、わかろうとしていたことの証です。

先生の講話を、わかってもらおう、治ってもらおう、という形でお伝えすることのないよう、

日々の瞬間の努力を大切にしたいと身が引き締まりました。


【MEMO】

・ 形づくられる由来が定かではない。

・ 「これが自分」を早くきめたい。確立したいは人情。常に外からのこと。

・ 禅は本来崇拝の対象、仏を必要としない宗教。

・ 徳をしのんで拝む。

・ 自分に対しても、外に対しても全く決めてない。

・ 天に向かって進む、今日より明日、は脱線。方向性を入れたら脱線。

・ 「へ」、「に」 方向性を示す助詞。「を」 目的を示す助詞。これがいらない。具合が悪い。

・ 難しい話をすると思われるのが残念。

・ 通じている=今いる場所が決められない場所。

・ こうだからこうということが絶対ない。

・ 何かを言おう、感情を表そうとする。全くみんながぽかんとするもんでないといかん。

・ 心の問題は自分の責任で何とかしてはならん。

・ 読む。見抜く。

・ 預けてある。自分のこと(心のこと)に責任をもたない。責任の持ち間違え。

・ 自分自身に対する計画性がない。

・ 用心そのものが悩み。

・ 無対策

【黒板MEMO】

・ 中川宗渕(ソウエン)老師

・ たらちねの生まれぬ先の月明かり

・ 「路一天通」

・ 讃岐の庄馬

 「日頃の邪見の角が落ちた」

 妙好人



 

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新年あけましておめでとうございます。

昨年より本ブログを立ち上げ、ほそぼそながらも、
院長先生の講話普及を目的に、ブログを発信させて頂けたことを光栄に思います。

暖かい見守りとともに支えを頂いている方々、またご許可を頂いた院長先生に、
この場をかりまして、お礼申し上げます。

不適切な表現や、至らない点も多いかと思いますが、細くとも長く続けていければと思っています。

本年もよろしくお願いします。


さて、新年最初の日曜講話は、森田正馬先生直筆の掛け軸とともに始まりました。

三聖病院の院内には、森田先生直筆の掛け軸が何点か掛けられていますが、
そのどれもが、大胆で力強く、芯を射抜くような筆跡が見事です。

言葉ではなかなか表現できるものではないので、三聖病院に来られる機会のある方は
院内に目を凝らして、是非ご覧になって頂きたいと思います。


【 MEMO 】

・ 頂けるものはそのまま頂く

・ へそ曲がり

・ 予防しない、回避しない。それだけのこと。

・ 人間の意識は2つの感情を同時に認識できない。

・ 外のものの心配だったら何をしてもよろしい。

・ 鮮明かつ敏感になってくる。

・ 対 という文字の出てこない精神生活

・ 自分で自分を肯定してもいけない。

・ あるがままを手段とすると、あるがまま と あるがままでないもの に分かれてしまう。
  あるがままになって治る、となってしまう。

・ この世にあるがままでないものなどあるのでしょうか。

・ あるがままは何かの状況をさすものではない。

・ 事実に服従することを実行している=治っている。

・ 世間の俗っぽい考え方。

・ 人間の脳はまだまだ余裕がある。その1/5しか使ってない。


【 黒板MEMO 】

・ 不問療法

・ 「対」

・ 自己-肯定
     -否定

・ 止揚-正
     -反

【 掛け軸 】

「苦痛を苦痛し 喜悦を喜悦す 之を苦楽超然といふ   昭和2年7月 森田形外」 






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author : 金田 倫子
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