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「不問の論理」とは 入院時にお世話になっているころから たびたび耳にしていた言葉でしたが、
今日の講話の中で、現院長が考案されたものであることを知りました。
森田正馬の「思想の矛盾」、鈴木大拙の「即非の論理」とならぶ事実の表現。
皆さんの興味を引こう、と考えました、とおっしゃる先生の言葉も印象的でした。
【MEMO】
・ 別種の論理の通ずる世界
・ 中心のない円
・ 教わろうというのは依存
・ これだけは聞いておこう、それすら聞かなくていい。
・ 知ることが役にたつことはない。
・ 教えの他、外で伝わる。
・ 今晩、自分の症状に無条件降伏すれば即全治。
・ いきおい自分をみてしまう。
・ 外は普通論理に従った生活をする。心は不問の論理。
・ 限りなくさまざまな美があるように、心も限りなくさまざまにいろんなありかたをする。
・ こうありたい - こうでなければならない 。自分をきめてしまう。
・ 治す方向をやめる。
・ どうなるかを問うところがない。
・ 肝心な部分を精神生活の基盤にすえていれば、それが真実に生きる姿。
・ 公案。とこうとしてもとけない問題。
【 黒板MEMO 】
・ 不問の論理
・ 般若即非般若故般若 (般若{すばらしい智慧}は 即ち 般若に非ず 故に 般若なり)
・ A≠A ∴A=A
・ 即非の論理(鈴木 大拙)
・ 答在問処 (答えは問処にあり)
・ 教外別伝 不立文字 直指人心 見性成仏
・ 森 暢(とおる)
・ 公案
natural koan (みなさんの悩み)
given koan (臨済宗の公案)
講話当日は、バンクーバー五輪の真っ最中でした。
オリンピック選手の練習と、神経症の人がする練習には根本的な違いがある、全く別物です。
と、今日も一刀両断に、神経症の本質についてお話しくださいました。
【MEMO】
・ 注意がむいた、その分だけ対象が敏感になる。
・ 注意と感覚、注意と感覚、が繰り返される。
・ その努力が熱心であればあるほど苦しくなる。
・ 納得のいく解決の仕方をやめれば一番よい。
・ 解釈がより複雑さを増す。
・ 治すことの熱心さ。
・ これが自分 - 治す自分 。一重、二重、三重となる。
・ これが自分、をいわさないようにしないと全治とはいえない。
・ とんちんかん、かたすかし、のれんに腕押し。
・ 心の方から、皆さんを困らせてやろうということは全くない。
・ 自分をこうと決めて、理想像になるための努力をする。
・ 意識は一つしかみれない。
・ こうだ、ああだ、どっちを決めてもいけない。
・ あるのかないのかを問わない。
・ 「あるがままの自分を受け入れるんだ」ではいけない。
【黒板MEMO】
・ 強迫性障害
・ ホウ居士
・ 好雪片々不落別処 (別処ニ落チ不)
・ 全禅客
・ 雪チョウ 「雪団打々々々!」 (初問のところでうてばよい)
・ レビンの花瓶
今日は久しぶりに水曜日の講話に参加しました。
昨年の今頃も、何度か講話に行かせて頂きましたが、少ないときは、私を含めて2~3人でした。
今日は平日にも関わらず、満席状態。
たくさんの方が、院長先生の教えを必要とされ、真実の生活を実践されているのだな、ということを肌身に感じました。
【 MEMO 】
・ きめることがいけない。
・ 心の歴史。かなり無理して作られた。
・ 悩みの内容。文芸作品と同じように味わう。
・ 文芸作品の命あらしめる。
・ 状況に応じてできた自分のイメージ。それをつなぐわけにはいかん。
・ イメージの私、はきれぎれ。
・ エクハルト 神秘主義者。
・ 今の心をいさぎよしとせず。
・ 筋が通ってるもの。論理。ほんものではない。
・ 神経症は嫌なところをなおそう、といやなところを邪魔にするところからはじまる。
・ 症状が妙薬。妙:あれとこれと両方が含まれている。片方だけを対象にするのは妙といわない。
・ その状況をみる、は脱線。その状況でいるが大事。
・ 自分をみつめる間は絶対になおらん。
・ 行動上の内省はよい。
【黒板MEMO】
・ 不寝番
・ 無義をもて義をなす
・ 「教行信証」
・ 不断煩悩得涅槃
・ 「末灯抄」
・ 王陽明 :儒学の実学
・ 訓詁学
今日の講話の中で先生が
「今日の講話はよくわかりました。よくわかった、といわれるほどがっかりする。」
と本当に残念そうにおっしゃっておられました。
その言葉をきいてハッとするということは、わかろうとしていたことの証です。
先生の講話を、わかってもらおう、治ってもらおう、という形でお伝えすることのないよう、
日々の瞬間の努力を大切にしたいと身が引き締まりました。
【MEMO】
・ 形づくられる由来が定かではない。
・ 「これが自分」を早くきめたい。確立したいは人情。常に外からのこと。
・ 禅は本来崇拝の対象、仏を必要としない宗教。
・ 徳をしのんで拝む。
・ 自分に対しても、外に対しても全く決めてない。
・ 天に向かって進む、今日より明日、は脱線。方向性を入れたら脱線。
・ 「へ」、「に」 方向性を示す助詞。「を」 目的を示す助詞。これがいらない。具合が悪い。
・ 難しい話をすると思われるのが残念。
・ 通じている=今いる場所が決められない場所。
・ こうだからこうということが絶対ない。
・ 何かを言おう、感情を表そうとする。全くみんながぽかんとするもんでないといかん。
・ 心の問題は自分の責任で何とかしてはならん。
・ 読む。見抜く。
・ 預けてある。自分のこと(心のこと)に責任をもたない。責任の持ち間違え。
・ 自分自身に対する計画性がない。
・ 用心そのものが悩み。
・ 無対策
【黒板MEMO】
・ 中川宗渕(ソウエン)老師
・ たらちねの生まれぬ先の月明かり
・ 「路一天通」
・ 讃岐の庄馬
「日頃の邪見の角が落ちた」
妙好人
昨年より本ブログを立ち上げ、ほそぼそながらも、
院長先生の講話普及を目的に、ブログを発信させて頂けたことを光栄に思います。
暖かい見守りとともに支えを頂いている方々、またご許可を頂いた院長先生に、
この場をかりまして、お礼申し上げます。
不適切な表現や、至らない点も多いかと思いますが、細くとも長く続けていければと思っています。
本年もよろしくお願いします。
さて、新年最初の日曜講話は、森田正馬先生直筆の掛け軸とともに始まりました。
三聖病院の院内には、森田先生直筆の掛け軸が何点か掛けられていますが、
そのどれもが、大胆で力強く、芯を射抜くような筆跡が見事です。
言葉ではなかなか表現できるものではないので、三聖病院に来られる機会のある方は
院内に目を凝らして、是非ご覧になって頂きたいと思います。
【 MEMO 】
・ 頂けるものはそのまま頂く
・ へそ曲がり
・ 予防しない、回避しない。それだけのこと。
・ 人間の意識は2つの感情を同時に認識できない。
・ 外のものの心配だったら何をしてもよろしい。
・ 鮮明かつ敏感になってくる。
・ 対 という文字の出てこない精神生活
・ 自分で自分を肯定してもいけない。
・ あるがままを手段とすると、あるがまま と あるがままでないもの に分かれてしまう。
あるがままになって治る、となってしまう。
・ この世にあるがままでないものなどあるのでしょうか。
・ あるがままは何かの状況をさすものではない。
・ 事実に服従することを実行している=治っている。
・ 世間の俗っぽい考え方。
・ 人間の脳はまだまだ余裕がある。その1/5しか使ってない。
【 黒板MEMO 】
・ 不問療法
・ 「対」
・ 自己-肯定
-否定
・ 止揚-正
-反
【 掛け軸 】
「苦痛を苦痛し 喜悦を喜悦す 之を苦楽超然といふ 昭和2年7月 森田形外」