忍者ブログ
三聖病院院長、宇佐晋一先生の講話録です。
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

 

こんばんわ。
 
前回から更新が遅れました。
 
稚拙な運営状況ですが、見守りを頂いている方々、ありがとうございます。
 
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
 
 
今日の講話では、院長先生が真の実在の「保証人」であるというお話を聞きました。
 
院長先生のお話の中にもありますが、保証人の存在なくして、内側への不見識な努力をやめることはできなかっただろうと、
 
先生のお話を聞き、自然と涙が流れました。
 
本ブログを立ち上げた初心に、改めて立ち返えらせて頂きました。
 
 
【MEMO】
 
・ 世間の人が神経症の人ほど悩んでいないのは、のん気だから。
 
・ 神経症の人は、熱心。物事の解決に、几帳面、完全主義、理想主義的だから。
 
・ これで間違いないという心のあり方、人生を見抜いていこうとする。本来できない心のことだから、うまくいかない感じばかり強くなる。これを自己不全感という。
 
・ 自己不全感は、完全主義のある几帳面な人でないとでない。
 
・ 皆さん方が、不健康、病気になりかけられたと見られることがあるが、実際は逆。
 
・ 本当の人間のあり方、真実を求めるという、その真面目な理想主義的な努力をなさる方は、悩みも多いに違いないが、しっかりしたものが、そこで、あるいは今晩この場で見ぬけられる。
 
・ 人間の知恵というものは、自分を救うことができない。
 
・ (世間の人は)心についての悩みが全くできない状態。どうしたら解決できるだろうかと考えるところまでいっていない。
 
・ 世間の人が健康で、皆さん方が病気であるという思い方は、今までは止むを得なかったが、精神医学的に横から、皆さんの努力をみていると、これは世間の人の方が間違っている。
 
・ 熱心に心の問題に取り組んだことで、苦しむということは、人に比べて悩みの解決ができない、間違っているあるいは劣っているということではない。
 
・ こういう所を通って真実に目覚める、その道筋は間違いない。
 
・ 諦めることをせず、悩みの多い生き方の続きを、自分の答えを今晩限りださない、自分をきめない、自分をこうだと主張しない、ということで改めて出発し、前進すれば、
 
  見事な全治の状態と、真実の姿が瞬間的にあらわれる。これを保証しているのがわたくし(院長)の役割。
 
・ わたくし(院長)の考えによって治そうとしないように。
 
・ ヒントを掴んで、ご自身の努力で治そうとなさらないように。
 
・ 実際は、考えよりも事実によって明らか。
 
・ 自分にとって。振り返ることで「難しい」、「易しい」がでてくる。
 
・ 保証する人がいないと、どれが本物か、どれが偽者かということがはっきりしない。
 
・ 治らないでいることができない。治っているよりほか仕方ない。
 
・ 真実は、みなさんの考えを離れた、想像を絶する世界。
 
・ 心の問題はすべてつくりものであった。
 
・ 心によってダメになる。
 
・ 誤認、誤想=思い込みの失敗。思い込みのために事実を見損ねたもの。
 
・ 治し方を自分にあてはめる段階で脱線する。感じなことは気配り人生。
 
・ よい人間であろうとすれば、不十分、弱い、劣等、という感じが、みえてくる。
 
・ 説明概念を治療に使うのはばかげた話。
 
 
【黒板MEMO】
 
・ 自己不全感
  完全主義

拍手[19回]

PR

「不見識」

 

精神の外部機構である知性を、心に用いること。

 

院長先生の講話の中で、教わった表現です。

 

今日、鈴木大拙先生の「宇宙的無意識」という言葉が、講話の中で取り上げられました。

 

心は本来、言葉にあらわすことのない、いきいきとしたもの。それを鈴木先生は、宇宙的無意識と表現されました。

 

「不見識」を私はたびたび犯してしまいますが、心を思考でやりくりできると、指向することの

愚かさに触れ、はっとしました。

 

先生が話される、そのまま、がいかに愛情深いものであるかを、再度感じた瞬間でした。

 

 

【MEMO】

 

・ 不安は安心しよう、治そうの努力つき。

 

・ 必ず、安心を目指す熱心な努力がつきまとっている。

 

・ 抗不安剤による治療、安心が解決しない。

 

・ 森田療法は、不安と安心を同時に解決。

 

・ 安心と不安は対立概念。考えの一対。

 

・ 生と死は見かけ上の対立概念。生の欲望、死の恐怖は、一本の線の上に並ぶ、同じもの。

 

・ 安心を強く求める行為において、不安がつきまとう。

 

・ 怖いもの、不安なもの、そのとおりに味わっていく。

 

・ 治そうとするそこに、心が加わらない。

 

・ 結論を出そうとすると、概念化されてしまう。

 

・ 心にテーマがあるとだめ。

 

・ 心をどこにも置かない。

 

・ 生き甲斐、は不見識な事柄

 

・ 言葉にあらわすことのない、いきいきとしたもの=宇宙的無意識

 

・ 皆さんが決めなければ、宇宙は決めない。

 

・ 言語での捉え方ができない=悩みがない

 

・ 悩みには解決がつきまとう。

 

・ 感情の事実に注文をつけない。

 

【黒板MEMO】

 

・ 柳生但馬守宗矩

・ 沢庵宗彭 「不動智神好録」

・ 臍下丹田

・ cosmic unconscious-ness  「宇宙的無意識」 鈴木大拙

拍手[11回]

 

こんにちは。
京都は猛暑日が続きます。
夏の暑さも盆まで。この暑さも残りわずかかと思うと、途端に名残惜しさが沸いてきます。

今日の講話では、芭蕉の句が話題にあがりました。
芭蕉の句を、先生は、治った人の心境だと、表現されていました。

自分が自分を神経症だと決めているとき、見ているのは、自分の考えであって、目の前のものではないこと、
事実とは異なるものをみていること、修養中に先生に教えて頂いたことを思い出しました。

私もいつか、全治の句を詠めるよう、
日々の生活の実践を、続けたいと思います。


【MEMO】

・ 芭蕉の句。全く意味づけがない。

・ 言葉による解説が出てこない。

・ より分けのような区別が見られない。

・ 見たもの。したこと。

・ 何らの努力もいらない。心に用事なし。

・ 心を、体の部分的な働きとして扱うこと事体が、おかしい。

・ 心という言葉、すべてを使うことが脱線。

・ 想像の中に恐怖は生まれる。

・ 考えただけで恐怖が生まれる。

・ わかろうー知ろうー治そう の三段に終始する。

・ 「しらなさ - わからなさ -きめられなさ」 、それをわかろうとされる。

・ 色と形、全治そのもの。

・ ものが見える=みなさんの生き生きした働き

・ 全治、いつもかも成り立っている。

・ 全治の半分は、不安の味わい。

・ 不安を伴う気持ちの味わい。後の半分は、外へのとりくみ。

・ 症状、こころと言わないほうがよい。

・ 味わい。自ずからなもの。

【黒板MEMO】

・ 提唱、講座

・ 脱学的、五山文学、三聖派

・ 「うつすとも 水は思わず うつるとも 月は思わず 猿沢の池」 
 上泉 秀綱、柳生宗厳-宗矩

・ 無念無想

・ 波多野 修

・ 一生の半ばを後架にて過ごせり  ※後架 (トイレ)

・ 加藤楸邨

・ 静物

・ 0=∞、∞=0 


 

拍手[11回]

 
今日の講話では、高良先生が創られた造語、「主観的虚構」や、
森田先生が作られた造語、「不問療法」などに係るお話がありました。
 
何度も聞かせて頂いている言葉ではありますが、何度伺っても、その事実を的確に表現された言葉に、はっとする新鮮な驚きがあります。
 
講話の最後には、院長先生が、宗教とあるがままについても話されています。
 
学校や大学で教わることのなかった貴重なお話、学校教育の中でも、必要とされている人はたくさんいるのでは、と感じます。
 
 
【MEMO】
 
・探すという作業で全治してしまう。
 
・近い例としては、空気のようなもの。
 
・ぶっつけの味わい。
 
・神経性の眩暈。目を回していきなさい。
 
・みなさんの方の常識が、ほんとうの事柄を見逃してしまう。
 
・考えの先に、解決のあかりが見えてくることはない。
 
・どこがどう悪いかは大事ではない。
 
・「どこが悪いですか?」:病気が潜んでることを認めている。
 
・自分にだまされないように。
 
・とりあえず、今、これをしなければならないという目標を見出して、やり始められる。
 
・自分にとって、というのは元をただせば、主観的な虚構である。
 
・自分を批評することなく、この場で必要なことをしていれば、満点。
 
・聞くことだけで、わかることなしに救われています。
 
【黒板MEMO】
 
・不問療法
 
・病感の増大
 
・主観的虚構(高良武久)
 
・聞即信
 
・即得往生
 
・聞法即得往生

拍手[9回]


ご無沙汰しております。

ようやく、仕事や私事が落ち着きました。

また少しずつ、先生の講話をこちらで記していければと思います。

今日の講話の中で、先生が黒板に板書される際、ふと腰をお辛そうにされている場面がありました。
しかし先生は、次にまた板書される際、何の迷いもなく、すっと席をお立ちになられました。

私ならばどうだろうと考えるに、おそらく、「また」と決め付け、病感のために痛みを作っていたのではなかろうかと、自身の行動を内省しました。

先生の講話を久々に受けさせていただきましたが、先生が事実を表される、表現は芸術そのものだと感嘆します。
実際に先生にお会いでき、事実をわかることのないよう、伝えていただけること、この上なく恵まれたことなのだと改めて感じました。

【MEMO】

・ わかるという捕らえ方ではキャッチされない種類のもの。

・ 言葉は物事を限定する強い働きがある。

・ 生き生きとしたものが、たちどころに色あせたものになる。

・ 事実をないがしろにしてしまう。

・ 文芸の世界は、生き生きとした事実とは別物。みなさんは文芸ではありません。

・ 自分をこうだと決めて信じ込む。客観性に乏しい主観そのもの。

・ バイアス=思い込み。事実を曲げて自分流に受け取る。

・ 自己暗示という現象が働く。

・ 釣り落とした鯛は大きい。

・ 針小棒大。大げさになる。大げさの度合いが著しい。自己暗示の特徴。客観性に乏しい。

・ 真実とはコミュニケーションなしたっぷりとありうる。

・ (先生を抜きにして)みなさんが、直に、その意識でいらっしゃる形でいきわたる。伝わることがない。

・ (先生は)伝達者でない。

・ 病人として認識し、病気として治そうとしたことに起因する。

・ 相手が虚構のものであった。

・ 自分にかかるイメージで、悲観しても絶望してもいいのがここ。

・ ぶっつけにこのままでいる。何の難しいことがありましょうか。

・ 知ることを介在させない直接の体験として。

・ 考えによらないものを直接、考えてわかるものを間接な捕らえ方という。

・ 感覚、感情、しることより前の、そのことであることが全治。

・ 悪いとすると、抜けなければない。抜けなければならないと、症状が固定して治らなくなる。

・ 嫌なものを決めると、ひとたび、反対側のものを待ち望む。

・ 神経症の症状は、ない状態をめざすことで、あらゆる努力を注ぐことで成り立つ。

・ 決めることをやめれば何事もおこらない。

・ 「なべての悩みをたきぎと燃やし、なべての心を心とせよ。風とゆききし、雲からエネルギーをとれ。」

【黒板MEMO】

・ 競合脱線 (輪に輪をかけた脱線)
・ 「末灯抄」  親鸞聖人 「念仏は無義をもって義とす」 (義:わけ、意味)
・ 鈴木大拙
・ 黄檗 - 臨済
・ 臨済録 三聖恵然
・ 「仏法無多子」
・ 松田聖山
・ 「歴々目前聴法底人」 (歴々:はっきりしている)

拍手[6回]

profile
author : 金田 倫子
カウンター
 
忍者ブログ[PR]