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「不見識」
精神の外部機構である知性を、心に用いること。
院長先生の講話の中で、教わった表現です。
今日、鈴木大拙先生の「宇宙的無意識」という言葉が、講話の中で取り上げられました。
心は本来、言葉にあらわすことのない、いきいきとしたもの。それを鈴木先生は、宇宙的無意識と表現されました。
「不見識」を私はたびたび犯してしまいますが、心を思考でやりくりできると、指向することの
愚かさに触れ、はっとしました。
先生が話される、そのまま、がいかに愛情深いものであるかを、再度感じた瞬間でした。
【MEMO】
・ 不安は安心しよう、治そうの努力つき。
・ 必ず、安心を目指す熱心な努力がつきまとっている。
・ 抗不安剤による治療、安心が解決しない。
・ 森田療法は、不安と安心を同時に解決。
・ 安心と不安は対立概念。考えの一対。
・ 生と死は見かけ上の対立概念。生の欲望、死の恐怖は、一本の線の上に並ぶ、同じもの。
・ 安心を強く求める行為において、不安がつきまとう。
・ 怖いもの、不安なもの、そのとおりに味わっていく。
・ 治そうとするそこに、心が加わらない。
・ 結論を出そうとすると、概念化されてしまう。
・ 心にテーマがあるとだめ。
・ 心をどこにも置かない。
・ 生き甲斐、は不見識な事柄
・ 言葉にあらわすことのない、いきいきとしたもの=宇宙的無意識
・ 皆さんが決めなければ、宇宙は決めない。
・ 言語での捉え方ができない=悩みがない
・ 悩みには解決がつきまとう。
・ 感情の事実に注文をつけない。
【黒板MEMO】
・ 柳生但馬守宗矩
・ 沢庵宗彭 「不動智神好録」
・ 臍下丹田
・ cosmic unconscious-ness 「宇宙的無意識」 鈴木大拙
こんにちは。
京都は猛暑日が続きます。
夏の暑さも盆まで。この暑さも残りわずかかと思うと、途端に名残惜しさが沸いてきます。
今日の講話では、芭蕉の句が話題にあがりました。
芭蕉の句を、先生は、治った人の心境だと、表現されていました。
自分が自分を神経症だと決めているとき、見ているのは、自分の考えであって、目の前のものではないこと、
事実とは異なるものをみていること、修養中に先生に教えて頂いたことを思い出しました。
私もいつか、全治の句を詠めるよう、
日々の生活の実践を、続けたいと思います。
【MEMO】
・ 芭蕉の句。全く意味づけがない。
・ 言葉による解説が出てこない。
・ より分けのような区別が見られない。
・ 見たもの。したこと。
・ 何らの努力もいらない。心に用事なし。
・ 心を、体の部分的な働きとして扱うこと事体が、おかしい。
・ 心という言葉、すべてを使うことが脱線。
・ 想像の中に恐怖は生まれる。
・ 考えただけで恐怖が生まれる。
・ わかろうー知ろうー治そう の三段に終始する。
・ 「しらなさ - わからなさ -きめられなさ」 、それをわかろうとされる。
・ 色と形、全治そのもの。
・ ものが見える=みなさんの生き生きした働き
・ 全治、いつもかも成り立っている。
・ 全治の半分は、不安の味わい。
・ 不安を伴う気持ちの味わい。後の半分は、外へのとりくみ。
・ 症状、こころと言わないほうがよい。
・ 味わい。自ずからなもの。
【黒板MEMO】
・ 提唱、講座
・ 脱学的、五山文学、三聖派
・ 「うつすとも 水は思わず うつるとも 月は思わず 猿沢の池」
上泉 秀綱、柳生宗厳-宗矩
・ 無念無想
・ 波多野 修
・ 一生の半ばを後架にて過ごせり ※後架 (トイレ)
・ 加藤楸邨
・ 静物
・ 0=∞、∞=0
こんばんわ。
ご無沙汰しております。
ようやく、仕事や私事が落ち着きました。
また少しずつ、先生の講話をこちらで記していければと思います。
今日の講話の中で、先生が黒板に板書される際、ふと腰をお辛そうにされている場面がありました。
しかし先生は、次にまた板書される際、何の迷いもなく、すっと席をお立ちになられました。
私ならばどうだろうと考えるに、おそらく、「また」と決め付け、病感のために痛みを作っていたのではなかろうかと、自身の行動を内省しました。
先生の講話を久々に受けさせていただきましたが、先生が事実を表される、表現は芸術そのものだと感嘆します。
実際に先生にお会いでき、事実をわかることのないよう、伝えていただけること、この上なく恵まれたことなのだと改めて感じました。
【MEMO】
・ わかるという捕らえ方ではキャッチされない種類のもの。
・ 言葉は物事を限定する強い働きがある。
・ 生き生きとしたものが、たちどころに色あせたものになる。
・ 事実をないがしろにしてしまう。
・ 文芸の世界は、生き生きとした事実とは別物。みなさんは文芸ではありません。
・ 自分をこうだと決めて信じ込む。客観性に乏しい主観そのもの。
・ バイアス=思い込み。事実を曲げて自分流に受け取る。
・ 自己暗示という現象が働く。
・ 釣り落とした鯛は大きい。
・ 針小棒大。大げさになる。大げさの度合いが著しい。自己暗示の特徴。客観性に乏しい。
・ 真実とはコミュニケーションなしたっぷりとありうる。
・ (先生を抜きにして)みなさんが、直に、その意識でいらっしゃる形でいきわたる。伝わることがない。
・ (先生は)伝達者でない。
・ 病人として認識し、病気として治そうとしたことに起因する。
・ 相手が虚構のものであった。
・ 自分にかかるイメージで、悲観しても絶望してもいいのがここ。
・ ぶっつけにこのままでいる。何の難しいことがありましょうか。
・ 知ることを介在させない直接の体験として。
・ 考えによらないものを直接、考えてわかるものを間接な捕らえ方という。
・ 感覚、感情、しることより前の、そのことであることが全治。
・ 悪いとすると、抜けなければない。抜けなければならないと、症状が固定して治らなくなる。
・ 嫌なものを決めると、ひとたび、反対側のものを待ち望む。
・ 神経症の症状は、ない状態をめざすことで、あらゆる努力を注ぐことで成り立つ。
・ 決めることをやめれば何事もおこらない。
・ 「なべての悩みをたきぎと燃やし、なべての心を心とせよ。風とゆききし、雲からエネルギーをとれ。」
【黒板MEMO】
・ 競合脱線 (輪に輪をかけた脱線)
・ 「末灯抄」 親鸞聖人 「念仏は無義をもって義とす」 (義:わけ、意味)
・ 鈴木大拙
・ 黄檗 - 臨済
・ 臨済録 三聖恵然
・ 「仏法無多子」
・ 松田聖山
・ 「歴々目前聴法底人」 (歴々:はっきりしている)