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今日は、前院長が早稲田の学生時代、
神経衰弱ゆえに、日露戦争を免れ、静養された時のお話から
禅僧時代に森田正馬先生に出会われたときのお話、
また、お釈迦さまが、悟りをひらかれた日に因んで行われる、禅寺での大接心のお話など
仏教にまつわる、されども一般的な仏教とは一風変わったお話を、今日もたくさん聞くことができました。
【 MEMO 】
・ 修養が必要ない人間は誰もいない。
・ 自覚療法
・ 釈迦の悟りは挫折
・ 自ら、ひとりでにこうなった。成り行きだけのこと。
・ お釈迦さんの失敗話
・ 自分に命令しない。注文しない。
・ 自分をほっとこうという意識はさらに好ましくない。
・ なるとおり。意志によらない自動的なもの。
・ 宇宙的な。コスミック。そういう無意識さ。
・ 「あの世の論理で」
・ 「宇宙的無意識」
精神分析でいう無意識とは違いますよ。ということ
・ ここで悟りを開く以外ない。
・ 観念化し、理論でとく。はじめからとこうとしてるのが間違いですよ。
【 黒板MEMO 】
・ 自己不全感
・ 主観的虚構性
・ 降魔成道(ごうまじょうどう)
・ 鈴木大拙
・ 臘八(ろうはつ) 12月8日
・ 臘八示衆
・ 隻手の音声(せきしゅのおんじょう)
先週、先生が講話の中で引用されていた
宮沢賢治の著作、「農民芸術概論」を読みました。
一部引用します。
「芸術の回復は労働における悦びの回復でなければならぬ
労働は本能である 労働は苦痛ではない
労働は常に創造である 創造は常に享楽である
人間を犠牲にして生産に仕ふるとき苦痛となる」
私には 理解できない部分も多かったのですが
真実を射抜いた表現というのは わかろうとわからまいと 強く伝わってくるものだと思います。
そして、美しくてあたたかい。
今日は、敗戦後、玉音放送での有名な一節や、
森田先生直筆の掛け軸などを題材に、院長先生の心温まる講話が展開されていました。
【 MEMO 】
・ 自分にだまされる。
・ 事実を曲げてみてしまう恐れがある。
・ 心に注文をつけ、もっとよりよい心の状態を目指す。そのところに、いやな状態がますます目につき、
病感が増大していく、といったことがおこる。
・ 病感を相手どれば、ますます大きくなる。
・ 神経質の人は、別の自分になろうとする熱心な努力があった。
・ 感情を知的に調整しようとしていた=考え
・ 治し方、治す方法は一切教えていない。
・ いつも外のこと(周囲、世間、学校)から割り出して、とりあえずはじめ、動いていく。
あとにはひかない。前進あるのみ。
・ あるがままを理解し、つかんだら脱線。
【 黒板MEMO 】
「namas(南無) amitaba」
【 掛け軸 】
「苦痛を苦痛し 喜悦を喜悦す 之を苦楽超然といふ
昭和二年七月 森田形外」