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三聖病院院長、宇佐晋一先生の講話録です。
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講話録の次回更新は

8月30日~31日の予定です。

今週の更新はありませんのでご了承ください。

                                             09.08.24 (mon)

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今日は、前院長が早稲田の学生時代、

神経衰弱ゆえに、日露戦争を免れ、静養された時のお話から

禅僧時代に森田正馬先生に出会われたときのお話、

また、お釈迦さまが、悟りをひらかれた日に因んで行われる、禅寺での大接心のお話など

仏教にまつわる、されども一般的な仏教とは一風変わったお話を、今日もたくさん聞くことができました。


【 MEMO 】

・ 修養が必要ない人間は誰もいない。

・ 自覚療法

・ 釈迦の悟りは挫折

・ 自ら、ひとりでにこうなった。成り行きだけのこと。

・ お釈迦さんの失敗話

・ 自分に命令しない。注文しない。

・ 自分をほっとこうという意識はさらに好ましくない。

・ なるとおり。意志によらない自動的なもの。

・ 宇宙的な。コスミック。そういう無意識さ。

・ 「あの世の論理で」

・ 「宇宙的無意識」

  精神分析でいう無意識とは違いますよ。ということ

・ ここで悟りを開く以外ない。

・ 観念化し、理論でとく。はじめからとこうとしてるのが間違いですよ。


【 黒板MEMO 】

・ 自己不全感

・ 主観的虚構性

・ 降魔成道(ごうまじょうどう)

・ 鈴木大拙

・ 臘八(ろうはつ) 12月8日

・ 臘八示衆

・ 隻手の音声(せきしゅのおんじょう)




 

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講話録の次回更新は

8月15日~17日の予定です。

今週の更新はありませんのでご了承ください。

                   09.08.09 (sun)

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先週、先生が講話の中で引用されていた

宮沢賢治の著作、「農民芸術概論」を読みました。

一部引用します。

「芸術の回復は労働における悦びの回復でなければならぬ

 労働は本能である 労働は苦痛ではない

 労働は常に創造である 創造は常に享楽である

 人間を犠牲にして生産に仕ふるとき苦痛となる」


私には 理解できない部分も多かったのですが 

真実を射抜いた表現というのは わかろうとわからまいと 強く伝わってくるものだと思います。

そして、美しくてあたたかい。


今日は、敗戦後、玉音放送での有名な一節や、

森田先生直筆の掛け軸などを題材に、院長先生の心温まる講話が展開されていました。





【 MEMO 】

・ 自分にだまされる。

・ 事実を曲げてみてしまう恐れがある。

・ 心に注文をつけ、もっとよりよい心の状態を目指す。そのところに、いやな状態がますます目につき、

  病感が増大していく、といったことがおこる。

・ 病感を相手どれば、ますます大きくなる。

・ 神経質の人は、別の自分になろうとする熱心な努力があった。

・ 感情を知的に調整しようとしていた=考え

・ 治し方、治す方法は一切教えていない。

・ いつも外のこと(周囲、世間、学校)から割り出して、とりあえずはじめ、動いていく。

  あとにはひかない。前進あるのみ。

・ あるがままを理解し、つかんだら脱線。


【 黒板MEMO 】

「namas(南無) amitaba」


【 掛け軸 】

「苦痛を苦痛し 喜悦を喜悦す 之を苦楽超然といふ

                  昭和二年七月 森田形外」
 

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「三聖病院について」-「治療講話」

の内容を、以下のとおり加筆しましたので、ご確認願います。

追加: ※ 初診後の受講となります。はじめての方は、まず診察を受けられて下さい。


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author : 金田 倫子
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