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三聖病院院長、宇佐晋一先生の講話録です。
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・ 講話ノート一覧 



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講話録の次回更新は

9月18日~20日の予定です。

今週の更新はありませんのでご了承ください。

                                             09.09.11 (fri)

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平成21年9月13日(日) 三省会開催につき

講話は お休み です。

なお、三省会は 13:00~です。

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月面に人間が降り立つまで 人は月の裏側をみることができなかった。

月の裏側は 絶対にわからない裏側。

神経症の人間が、こころ、自分を知ろうとしても それは絶対にわからない。月の裏側のようなものである。

と、前院長は表現されたそうです。

今日の講話の冒頭で「ボールのうけわたしがないコミュニケーションがある」と

院長先生がおっしゃておられましたが、そういった相互理解の図り方、

表現に対する徹底した親切が、前述のような 絶妙な表現を

生み出すのであろうな、ということを今日の講話の中で感じました。



【 MEMO 】

・ この自分のこういうとこを治そう。その時点で考えに置き換わっている。

・ 治し方が悪いのではない。

・ こうなんだといわない。

・ 自分が自分を知ることがない。だから わからない。だから きめられない。

・ 人生論的人生を歩んではいけない。

・ 治った際には 自分に対するよしあしがない。

・ 比べない。となると 日々是好日。

・ 比べたいという感情がなくならないから難しいと思われる。だから、ことばにしない、に徹するのがよい。

・ 人間の、一番早く変わるものは意識

・ 意味づけがあればやりやすい。しかし、意味づけは本来いらない。

・ 「どうしましょう」←自分にとってどうしよう。そこに答えを出してはならない。

・ こう考えないといけない、ではみなさんに痛手を負わすことになる。

・ 決してものさしを使ってはならん。

・ 標準がない。

・ 心の問題には筋を通してはならない。


【 黒板MEMO 】

・ 即非の論理  (鈴木大拙)

 A≠A  故に  A≠A 

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 三聖病院では、週3回の講話のあいの日、月・木・土曜に

院長先生の美術スライド講座があります。

仏教美術から西洋・東洋美術にいたるまで、時代は縄文のころからと

幅広い美術作品に、院長先生の知識深く、味わい豊かな解説とともに

お目にかかることができます。

今日は、その講座に関連した話題から始まり、観ることの徹底についてお話がありました。


【 MEMO 】

・ スライドの解説は、調子を合わせるだけのもの。

・ ただ見るばかり

・ 見ること、と説明をきくこと。別の話が同居している。

・ 私の話を通じて、絵を見てもらっては困る。

・ 横から意味づけられる。なくもがな(=ないほうがまし。)

・ 心の問題はお互いに感ずることの徹底

・ 話の成り行きに興味を示し、感ずることの徹底を忘れてしまう。

・ 解決にのりだしてしまう。

・ 意味づけによる見たものの喪失

・ 目は外のことを見るけれど、目は目自身を見ることがない。

【 黒板MEMO 】

・ 無限に多様

・ 観照

  鑑賞

・ 雲門禅師

 「見るときには見えず暗昏々」

・ (どんなんが悟りか、という問いに対して・・)

  「厨庫、三門」

・ 久松 真一

・ 心気症

・ 真実 如実

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author : 金田 倫子
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