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三聖病院院長、宇佐晋一先生の講話録です。
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お恥ずかしい話で恐縮なのですが、これほど三聖病院に関わりをもたせてもらっている

にも関わらず、スキ・キライ、内側を目的とした行動を日々とってしまっていることに、講話にくる度

愕然と気づかされます。もう知っている、わかっている、の脱線をどこかでしては、内側の悩みを

解決しないとならないと、内面の努力を気づけばしてしまっていることが私には日常茶飯事です。

我ながらに相当できの悪い神経質だと嫌気がさしますが、もし同じようなことで日々の幸せを台無し

にされてる方がいらっしゃるなら、忘却による脱線を矯正するきっかけになれたら、というのが

このブログをはじめるにあたった一つの思いです。

それからもうひとつには、是非多くの方に院長先生にお会いしていただきたいなぁ、ということ。

治癒とは全く関係のないことなのですが、ただ一つの感情の表現として。

今日も講話に来て、このふたつの思いがとても強くなりました。




【 MEMO 】

・ 覚えてもちかえる。そのあいだに考えにおきかえられる。

・ 人間以外の動物は言葉によらない精神生活。だから悩みがない。

・ 言語生活は人間の宿命

・ 忘れようとすればするほど刃物をとぐかのように鋭くなる。

・ どこでみなさんを煙に巻くか、ペテンにかけるか。

・ 人間にはスキ・キライの感情が原始的にある。

・ 人前でスピーチする機会のある方は、一番のもとがスキ・キライであることを話されてはどうか。

・ それはよい・わるい、の前の話

・ ゆゆしいというのは、すきというのと同じ

・ 感情はただ勝手に出てくる。なぜ、のルーツを尋ねない。

・ 価値的な見方=認識

・ こうしたら、ああしたら、を考えたのがおしかった。それが治らなくさせた。

・ おめでたい、は知ること、わかること。それは認識。そこにいいわるいの価値づけ・
  意味づけをしない。

・ 幸福がその日その日にやってくる。

・ スキでもキライでもご自由。

・ 全治とは幸福

・ 主体と客体が全くわからない状態が純粋体験

・ 主客がわかれているときは、もう知的になっている。

・ 不安を問題にするとき、不安が治す対象に、治す努力にうつってしまっている。

・ 「こうです」知的なしめくくりをやめて、感情のまま。

・ 決してコミュニケーションのない、人から人に伝わることのないただの事実

・ ただスキキライがあるばかり。

・ 世間の人は良し悪しではじめている。

・ 求めるところに、幸福の求められなさが出てくる。

・ 困らせた張本人は言葉。次に論理。

・ 心に関係ないこと、こういうのが自分という自己に関係のないことをしなさい。

・ したい・したくないの目的を果たすために行動しない。

・ 外の目的を果たすために行動する。


【 黒板MEMO 】

・ 快・不快

・ 努力をすれば幸福になる

・ 概念 (概:おおむね)



 

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  台風18号が接近間近に、今日は街中を不気味な風が吹き荒れていました。

  前院長は、台風接近を間近に控えた前夜、現作業室下に穴を掘って、何かがあった際に

  患者が非難できるように準備をさせたそうです。

  現院長はそれを見て、なんと変わったことをする父かと思ったと、そしてそのときの台風も

  今と同じ18号であったと。

  そんな、三聖病院の歴史と趣を感ぜられる話が、台風の不気味さと相反し、とても印象的でした。



【 MEMO 】

・ 内側に向かっては何が薬か。=症状

・ なぜかの先はすべて考え、概念。

・ 決める→<好き、嫌い>→<よいもの、わるいもの>

・ こころにひとつの方向が与えられた状態では治らない。

・ なぜかと説明する、をなくすのが(院長の)役割

・ 自分を知ることで、決めたのが悪い。

・ 言葉はものをきめる働きがある。ものを決めない言葉をもってくればよい。

・ 「えいままよ」

・ きくということはわかること。
  きくということはきめること。ことばを使うから。

・ 安心・不安を比べることがない。

・ 心に対立がおこるとすぐよりごのみがおこる。

・ 一つもちだすとそうでないものがすぐ決まってしまう。

・ そうでないことばがあればいい。「あるがまま」

・ ×受け入れる →受け入れる自分と受け入れられる症状にわかれてしまう。

・ 比較がない。対立がないときに同じこと(全治)がおきる。

・ 論理のあるばかりに、生き生きとしたものが見えなくなる。

・ ことばは生命そのものではない。

・ 本当でないものをつくりあげるのが言葉の役割


【 黒板MEMO 】

・ 所作

・ 病感の増大

・ 三黙室

・ 不問の論理
  

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講話時間変更のお知らせです。


・ 平成21年10月4日(日)、18日(日)

  14時30分~  → 19時30分~

・ 平成21年10月14日(水)

  19時30分~  → 18時30分~

・ 平成21年10月16日(金)

  19時30分~  →  9時00分~

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耳で聞くと すぐわかってしまう
目で見ると すぐわかってしまう

全治は 「みずから」ではなく 「おのずから」であることを

今日はたくさんお話いただきました。


【 MEMO 】

・ 人に伝えることは説明になる。

・ わかったので実行しようでは脱線。わかる前に実行。

・ この場でわかることさえやめてしまえばよい。

・ (講話は)聞くだけ

・ わかる、わからんというのは後手後手にまわっている。

・ 「なぜ生きる」を自分に問うのは不見識

・ あるがまま を方法としてはならない。

・ 見えたまま、聞こえたまま。次にある、知ることをしない。

・ 自ら(みずから):自分がやってる。

  自ずから(おのずから):全治。自分が一歩手を引いて、おまかせする。人まかせにする。

・ 左右の手が同時に痙攣する→神経症性障害。

  体の病気や故障は必ずどちらかからおかしくなる。

・ あてが外れたとこが全治

・ 考えが優先してしまう。


【 黒板MEMO 】

・ 他者意識       初一念
     科学知        自己意識
               不問の論理
            

・ 大灯国師

  「耳に見て 目に聞くならば うたがわじ

             おのずからなる 軒の玉水」

・ 森田正馬

  「苦痛を苦痛し 喜悦を喜悦す

             これ苦楽超越という」

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いまさらのことですが、

森田療法、ひいては三聖病院においては徹底した不問が求められます。

ですがやはり、どうにもとらわれる問いがわきおこってくるのは事実です。

これは、修養時代から不思議に感じていたことなのですが、

どうしてもの問いが続いたあと、ふと講話でそのテーマがとりあげられる、ということが

ごく自然におこります。

とりあげられたからといって、その問いの答えがみつかったり、

ヒントを得たり、するわけではなく、とらわれであったと自覚するにすぎないのですが、

そういことがおこるたび、院長先生はどこまでお見通しなのか、と妙な勘ぐりを抱いてしまいます。

標題とは関係ない話になりましたが 今日の講話でも また院長先生のお見通しにあたったので

一個人の感想として、ご参考まで。


【 MEMO 】

・ 知 情 意

・ ストレスだから悪いっていわなくていい。

・ 自分で自分の主治医になって、治療法まできめているのが神経質の特徴

  自分の気持ちできめて、治療者にまかせられない。

・ 宗教。自分の心を調整することができないからゆだねる。

  自分の心を調整することができると思っている。

・ 自分の心は、自分の命令や注文に従わない。

・ 森田の副産物。宗教が身につく。

・ 感情の暴れん坊は、法則、規則を絶対守れない。

・ わかった分だけよけいなこと

・ 考え方が変わったんではない。意識が変わった。

・ 悟りは気づきではない。

・ 人間にとって意識とはかえられない。

・ 意識については責任を絶対に持つ必要がない。

  本治りはみなさんの責任でもたらされるものではない。

・ 肝心なのは 知らなさ わからなさ きめられなさ

・ 医学的心理学。「学ばなかったらどんな困ったことがおこるか」

  →個人差をよくわきまえること。個人差をしること。

・ ゴッホがいなかったらあの美しさには出会えなかった。


【 黒板MEMO 】

・ 汎適応症候群 (ハウス・セリエ)

・ 霊鷲山(りょうじゅんぜん)

・ 拈華微笑(ねんげびしょう)

・ 降魔成道(ごうまじょうどう) 12月8日 鶏鳴

・ 臘八

・ 気づき=洞察

 

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author : 金田 倫子
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