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三聖病院院長、宇佐晋一先生の講話録です。
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耳で聞くと すぐわかってしまう
目で見ると すぐわかってしまう

全治は 「みずから」ではなく 「おのずから」であることを

今日はたくさんお話いただきました。


【 MEMO 】

・ 人に伝えることは説明になる。

・ わかったので実行しようでは脱線。わかる前に実行。

・ この場でわかることさえやめてしまえばよい。

・ (講話は)聞くだけ

・ わかる、わからんというのは後手後手にまわっている。

・ 「なぜ生きる」を自分に問うのは不見識

・ あるがまま を方法としてはならない。

・ 見えたまま、聞こえたまま。次にある、知ることをしない。

・ 自ら(みずから):自分がやってる。

  自ずから(おのずから):全治。自分が一歩手を引いて、おまかせする。人まかせにする。

・ 左右の手が同時に痙攣する→神経症性障害。

  体の病気や故障は必ずどちらかからおかしくなる。

・ あてが外れたとこが全治

・ 考えが優先してしまう。


【 黒板MEMO 】

・ 他者意識       初一念
     科学知        自己意識
               不問の論理
            

・ 大灯国師

  「耳に見て 目に聞くならば うたがわじ

             おのずからなる 軒の玉水」

・ 森田正馬

  「苦痛を苦痛し 喜悦を喜悦す

             これ苦楽超越という」

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いまさらのことですが、

森田療法、ひいては三聖病院においては徹底した不問が求められます。

ですがやはり、どうにもとらわれる問いがわきおこってくるのは事実です。

これは、修養時代から不思議に感じていたことなのですが、

どうしてもの問いが続いたあと、ふと講話でそのテーマがとりあげられる、ということが

ごく自然におこります。

とりあげられたからといって、その問いの答えがみつかったり、

ヒントを得たり、するわけではなく、とらわれであったと自覚するにすぎないのですが、

そういことがおこるたび、院長先生はどこまでお見通しなのか、と妙な勘ぐりを抱いてしまいます。

標題とは関係ない話になりましたが 今日の講話でも また院長先生のお見通しにあたったので

一個人の感想として、ご参考まで。


【 MEMO 】

・ 知 情 意

・ ストレスだから悪いっていわなくていい。

・ 自分で自分の主治医になって、治療法まできめているのが神経質の特徴

  自分の気持ちできめて、治療者にまかせられない。

・ 宗教。自分の心を調整することができないからゆだねる。

  自分の心を調整することができると思っている。

・ 自分の心は、自分の命令や注文に従わない。

・ 森田の副産物。宗教が身につく。

・ 感情の暴れん坊は、法則、規則を絶対守れない。

・ わかった分だけよけいなこと

・ 考え方が変わったんではない。意識が変わった。

・ 悟りは気づきではない。

・ 人間にとって意識とはかえられない。

・ 意識については責任を絶対に持つ必要がない。

  本治りはみなさんの責任でもたらされるものではない。

・ 肝心なのは 知らなさ わからなさ きめられなさ

・ 医学的心理学。「学ばなかったらどんな困ったことがおこるか」

  →個人差をよくわきまえること。個人差をしること。

・ ゴッホがいなかったらあの美しさには出会えなかった。


【 黒板MEMO 】

・ 汎適応症候群 (ハウス・セリエ)

・ 霊鷲山(りょうじゅんぜん)

・ 拈華微笑(ねんげびしょう)

・ 降魔成道(ごうまじょうどう) 12月8日 鶏鳴

・ 臘八

・ 気づき=洞察

 

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月面に人間が降り立つまで 人は月の裏側をみることができなかった。

月の裏側は 絶対にわからない裏側。

神経症の人間が、こころ、自分を知ろうとしても それは絶対にわからない。月の裏側のようなものである。

と、前院長は表現されたそうです。

今日の講話の冒頭で「ボールのうけわたしがないコミュニケーションがある」と

院長先生がおっしゃておられましたが、そういった相互理解の図り方、

表現に対する徹底した親切が、前述のような 絶妙な表現を

生み出すのであろうな、ということを今日の講話の中で感じました。



【 MEMO 】

・ この自分のこういうとこを治そう。その時点で考えに置き換わっている。

・ 治し方が悪いのではない。

・ こうなんだといわない。

・ 自分が自分を知ることがない。だから わからない。だから きめられない。

・ 人生論的人生を歩んではいけない。

・ 治った際には 自分に対するよしあしがない。

・ 比べない。となると 日々是好日。

・ 比べたいという感情がなくならないから難しいと思われる。だから、ことばにしない、に徹するのがよい。

・ 人間の、一番早く変わるものは意識

・ 意味づけがあればやりやすい。しかし、意味づけは本来いらない。

・ 「どうしましょう」←自分にとってどうしよう。そこに答えを出してはならない。

・ こう考えないといけない、ではみなさんに痛手を負わすことになる。

・ 決してものさしを使ってはならん。

・ 標準がない。

・ 心の問題には筋を通してはならない。


【 黒板MEMO 】

・ 即非の論理  (鈴木大拙)

 A≠A  故に  A≠A 

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 三聖病院では、週3回の講話のあいの日、月・木・土曜に

院長先生の美術スライド講座があります。

仏教美術から西洋・東洋美術にいたるまで、時代は縄文のころからと

幅広い美術作品に、院長先生の知識深く、味わい豊かな解説とともに

お目にかかることができます。

今日は、その講座に関連した話題から始まり、観ることの徹底についてお話がありました。


【 MEMO 】

・ スライドの解説は、調子を合わせるだけのもの。

・ ただ見るばかり

・ 見ること、と説明をきくこと。別の話が同居している。

・ 私の話を通じて、絵を見てもらっては困る。

・ 横から意味づけられる。なくもがな(=ないほうがまし。)

・ 心の問題はお互いに感ずることの徹底

・ 話の成り行きに興味を示し、感ずることの徹底を忘れてしまう。

・ 解決にのりだしてしまう。

・ 意味づけによる見たものの喪失

・ 目は外のことを見るけれど、目は目自身を見ることがない。

【 黒板MEMO 】

・ 無限に多様

・ 観照

  鑑賞

・ 雲門禅師

 「見るときには見えず暗昏々」

・ (どんなんが悟りか、という問いに対して・・)

  「厨庫、三門」

・ 久松 真一

・ 心気症

・ 真実 如実

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今日は、前院長が早稲田の学生時代、

神経衰弱ゆえに、日露戦争を免れ、静養された時のお話から

禅僧時代に森田正馬先生に出会われたときのお話、

また、お釈迦さまが、悟りをひらかれた日に因んで行われる、禅寺での大接心のお話など

仏教にまつわる、されども一般的な仏教とは一風変わったお話を、今日もたくさん聞くことができました。


【 MEMO 】

・ 修養が必要ない人間は誰もいない。

・ 自覚療法

・ 釈迦の悟りは挫折

・ 自ら、ひとりでにこうなった。成り行きだけのこと。

・ お釈迦さんの失敗話

・ 自分に命令しない。注文しない。

・ 自分をほっとこうという意識はさらに好ましくない。

・ なるとおり。意志によらない自動的なもの。

・ 宇宙的な。コスミック。そういう無意識さ。

・ 「あの世の論理で」

・ 「宇宙的無意識」

  精神分析でいう無意識とは違いますよ。ということ

・ ここで悟りを開く以外ない。

・ 観念化し、理論でとく。はじめからとこうとしてるのが間違いですよ。


【 黒板MEMO 】

・ 自己不全感

・ 主観的虚構性

・ 降魔成道(ごうまじょうどう)

・ 鈴木大拙

・ 臘八(ろうはつ) 12月8日

・ 臘八示衆

・ 隻手の音声(せきしゅのおんじょう)




 

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author : 金田 倫子
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